大安心でいこう。

カラーキューブセラピー&現世療法のコンセプトをつづります。

あなたがしてきた「あの約束」をおもいだすまで。






生まれた時って、みんな大安心だった。



空から「いってらっしゃい」と、

おおきな存在に見送られて、うまれてきた。




生まれる前のこと。


レンタルボディのデザインがおわったとき、

おおきな存在とかわした約束のひとつに、


“その体をつかって、

 どうぞ、世界を楽しんできてね。

 いつも「大安心」で、あなたが

 心地よいことを「えらぶ」んですよ。”



そういった、約束をかわした。




生まれるときは、とても苦しかったけど、

でもそのあと、お母さんに抱かれて

あったかくて、いいにおいがして、

こちらを見つめる目が優しくて、大安心だった。



ああ、この世界は「大安心」なんだ、と、

純粋なあなたは、大安心のまま、

世界のルールをまるごとうけいれはじめた。






100年間レンタルしてきたこの体になれながら、


目に映るものは、

いつも新鮮で、輝いていて、

おかあさんと手をつなぐと、なんだか幸せで、

四季折々にかわる景色がとてもきれいで、

風の音ですれる葉っぱの音に、耳をすませたりしていた。



おとうさん、おかあさん、あるいは先生、

ときにはテレビから本から、ありとあらゆる

世の中のルールを、

無垢なあなたは大安心で、どんどんとりいれた。






そして、人が喜んでくれることに、

おおきな幸せをかんじたあなたは、


おとうさん、おかあさんが喜ぶからうれしい。

まわりが楽しそうだから、これがいい。

どうやらこの友達は、こうやっているからこれがいい。


そうやって素直に、スポンジのように吸収していく。

まわりとあわせることで、

世の中がバランスしていくことが、嬉しかった。




昭和のはじめや、真ん中の世の中を生き抜いた、

おとうさんやおかあさんの価値観は、

すこしだけ厳しくて。



それをつくってきたのは、時代の背景。

それらのルールに、

いつのまにかあなたは染まっていた。




いつのまにか、「ちゃんと」に、のみこまれ、

「こうしなきゃ」と、演技がうまくなる。




生まれてからあるときまでは、

お腹すいたら泣いて、うれしかったら笑って、と。




ただ、そうやってきたのだけれど、

いつのまにか、

「いい」か「わるいか」の2極で世界をみるようになった。

世界を、そう判断するようになった。

「ただしいか」「ただしくないか」で、みるようになった。



大安心の判断基準、「たのしいか」「たのしくないか」

こんなことを、もうすっかり忘れてしまった。






そうして、あなたの中に「大安心」がいなくなり、

だれかの固定観念・価値観で、生きはじめる。



そうして、あなたの中に、あなたがいなくなる。





もうとっくに、

おおきな存在との約束、

「えらぶ」を忘れてしまった。



だから、あなたの意思に関係なく、

世界はあなたを振り回しはじめる。

正確には、振り回すように感じ始める。




もともとの約束を思い出すまで、

あなたが「大安心」を、思い出すまで、

ストーリーが、どんどんおかしい方向へと進んでいく。



そこで、はたと気づく。


 何かが違うんではないか?と。

 こんなに苦しいのはなぜなんだ?と。

 なんでこんなに我慢ばかりしているの?と。




そういった苦しみが、

もういちど、「大安心」を思いおこす、きっかけをくれる。



そうしていつか気づく。


あなたを振り回していたのは、

あなた自身だったんだ、というカラクリを。




そうして、おおきな存在との約束「大安心」で、

あなたが心地よく、

たのしい人生をインストールしなおすよう、仕組まれている。




だから「大安心」でいこう。


「大安心」をおもいだそう。


おおきな存在とかわしてきた約束を、

おもいだそう。




“その体をつかって、

 どうぞ世界を楽しんできてね。

 いつも「大安心」で、あなたに

 心地よいことを「えらぶ」んですよ。”





なぜなら、

地球は、遊び場であり、

世界はいつだって、あなたのおもちゃ箱だから。